穴蔵便り

3月8日(金)

 私が一番楽しく働いていたのは大学4年から今の勤め先に来るまでの2年ちょっとの間だったかなと思います。ここに来てからも楽しいことはたくさんあるし,働いていて幸せを感じることはあるけれど,仕事に行くのが楽しみで,仕事しながらいつも笑ってたりしてました。それは「ぴゅうとろ亭」というお店で働いていた頃です。もうなくなっちゃったお店だから名前も書いていいよな。小さいけれど何でも美味しくて,仕事が休みのときもお金があるときはわざわざ食べに行ってたなあ。

 そこでは俳優の卵の人達も働いていたし,昼間は某国の大使館で働いていながら夜はわざわざぴゅうとろ亭に働きに来ている人もいた。知らない世界の話を料理を運ぶ合間や仕事が終わった後に賄いの食事を食べながら聞くのもとても興味深かった。賄いもすごく美味しくてねえ。最後に残ったお客さんがうらやましそうに見てて「その料理は何?」なんて聞かれたりもしたな。私にとってはやっと本当の「社会」に触れられた時期なのかもしれない。

 ぴゅうとろ亭は「チーフ」と呼ばれる小柄な男性がやっているレストランでした。後は私みたいなアルバイトしかいなかった。私はチーフを本当に尊敬してました。料理やお酒のことをたくさん教えてもらったし,働く姿勢だとかモノを作る人の思いやりみたいなものも言葉ではなくて日々の仕事を通して教えてもらいました。メニューを紹介するときに質問されてもいいようにと,お店で出す料理やお酒は必ず味見をさせてくれたし,学生では絶対飲めないような高いワインを飲む機会を作ってくれて本当に美味しいものを勉強させてくれました。どんなにお店が混んでいても,ひとつひとつちょっと盛りつけがずれてもやり直すような仕事の丁寧さがありました。考えてみれば当たり前のことなんだろうけれど,その当たり前のことを当たり前にただただ実直にやるのってとてもすごいことだと教えてもらった。サービスって何なんだろうということを考えたのもこの頃で,それはチーフの姿を見ていたからだった。今,学校の仕事を「教育はサービスでしょ」と素直に考えられるのも,あの頃にサービスについて考えられたからだと思う。そして何かを食べに行ったり飲みに行ったりしてほとんどの場合楽しんでこられるのは,ぴゅうとろ亭でサービスする側のことを知ることができたからだろう。

 こう書いていて,「ああ,こんなことも教えてもらった,これはチーフに聞いたなあ」ということがたくさん思い浮かんでくる。私はあまり素直な人間ではないんだけれど,チーフだと言われたことがすっと受け容れられていました。

 今の仕事につくちょっと前にチーフは下北沢にあったお店をたたんで地元に帰ってしまいました。それでも私はチーフの料理や話が楽しみで時々出掛けていきました。特別な日はチーフのお店にしていたなあ。その後,チーフは銀座のお店で働くようになって,お店はうまく行っていてけっこう安心していたのでした。ちょっと忙しすぎて疲れてるなあとは思ったけど。

 今月のはじめのある日,チーフはいつものように家に帰って眠りについて,そのまま永いお休みに入ってしまいました。ついさっきいっしょに働いていた女性から電話で話を聞いたのだけど,あまりに突然で残念で,うまく事実が飲み込めないでいます。大事なものというのはふいに手からこぼれていっちゃうものなんだな。明日は一日チーフのことを考えながら過ごします。

3月5日(火)

 御無沙汰でございます。親ばかぶりを発揮する暇もなく働いております。その割にはトップの画像とか更新したりなんかしてますけど。え,他の画像も見たい。ふむ,仕方ないなあ。では,

 目が開いている画像が少ないんですよねえ。私と同じで一度寝るとなかなか起きません。寝ることに対して意地汚いとまで言われた私を上回る睡眠欲なのだなあ。あ,でも子供は寝るのが仕事と聞いてますからこれも仕事のうちということなんだろうか?

 さて,高校の卒業式も終わりました。私がはじめて受け持った中学1年生がもう卒業してしまいました。中学生の間はけっこう長いなあと思ってたのに,高校生になったらあっという間に感じるというのは私が単に歳食ったからなのかな。

 来年度の私は大きく仕事が変わります。授業はなし。きれいさっぱりなし。途中経過はここには書けないんだけど,現場から離れて副教頭なんて立場になります。しかも企画広報部という部も持つことになり,パンフレットやポスター作ったりということから,中学・塾周りや説明会の計画・企画までやることに。それでも授業を何時間かは持とうとも思っていた時期もありました。でも前に同じような立場の先生が授業を持ったときにちゃんとした授業ができなかったことを批判したりもしていたので,自分も同じことをしてしまわないかという不安もあって,迷いに迷って結局授業は持たないことに決めました。たぶん教員としてキャリアを考えるとここで授業を持たないというのは大きなマイナス。来年度以降,授業に戻れるかもしれないとは思うものの,きっと来年度の仕事を続けてたら現場には戻れないのだろうなということもわかっています。やっぱりねえ,教員は授業やってこそ教員なんだよなあ。

 と,まあぐじぐじ言ってても仕方ないし,楽観的に何とかなるさ,何とかしてしまえというのが基本方針なので,また新しく面白いことができそうだというつもりで働きます。今度はここで学校のちょっと違う世界も書けることでしょう。

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